れいか大先生の自伝の公開校正会 2024/04/05 21:53 Facebookでシェア URLをコピー 報告 ライブ予告 2024/04/05 21:00 れいか大先生の自伝の公開校正会れいか大先生にご登壇いただき、今ある文章に肉付けをしていき、より魅力的な文章に仕上げていきましょう!みんな意見を出してね!校正する文章はこちら↓------------------------------------------------------私は札幌の北のはずれに工務店を営む父親のもと、次女として生まれました。経済的に恵まれ、幼少期から茶道、お琴、ピアノ、書道、バレエ等を習う、お嬢様街道まっしぐらかと思われましたが、世間の目とは対照的に家では毎晩父親の母親を殴る音、怒鳴り声・・・ 幸せな家族とは程遠いものでした。 幼稚園の頃1度、殴られている母親の前に飛び出し、平手でぶっ飛ばされました。泣きじゃくる私に姉の心温まる一言が 「 あんたバカじゃないの? そんな事しても喧嘩やめる訳じゃないんだからやめな〜 」小学生の姉が輝いて見えました。そんな日々が毎日続き、なかなか寝付けない夜に強い子供に育ち、いつしか小学生の頃から早く家を出たいと考えるようになります。この時はまだこの体質が後々役に立つとは思わずにwww--------------------------------------------------------【ここまで書き換えました】今まで罪の多い人生を送ってきました。時代は昭和にさかのぼります。私は高度経済成長真っ只中の、札幌の北のはずれに工務店を営む父親、国男のもと2人姉妹の次女として生まれました。大工の父は景気の良さもあり羽振りが良く、成金趣味の浪費家でした。家の中には噴水があり、鹿や亀のはく製・日本刀が置いてあるような豪邸に私は住んでいました。父、国男には二人の姉妹をお嬢様として育てたい願望が強くありました。そのため私は、幼少期から茶道、お琴、ピアノ、書道、バレエ等を習う、お嬢様街道まっしぐらの生活を送っていました。ところが、実際は幸せな家庭とは程遠いものでした。外面の良い父親はご近所には良い家庭であることを演じ、家にはたびたび人を招き宴会をしていました。宴会があるたびに私たち姉妹は笑顔であいさつすることを強要され、時には歌も歌わされました。 しかし宴会が終わると反省会が行われ、上手に歌が歌えなかったときは厳しく𠮟られました。